>>283 ジャネット・ルポーが、自分の身体をどう思っていたかは、情報ないです。
75年当時は、VHSビデオも普及していなかったので、出ていないでしょう。
写真集は判りませんが、一般にプレイメイトの単独写真集は、
その後、女優に転身した人を除いては、出ていないはずです。
アメリカ人は、チマチマした写真集より、大判のポスターやピンナップを貼る方が好まれるので、
プレイメイトたちは、ピンナップ・ガールと呼ばれました。
プレイメイトは、日本のキャンギャルと同じく、1年間ぐらいはプレイメイトとして活動しますが、
その後は、一般人に戻る人がほとんどでした。2度も復帰したジャネット・ルポーは、
よほど人気が高く、例外的存在です。私が、ジャネット・ルポーを最初に見たのは、
月刊プレイボーイの広告(221の別ロダの左のカット)であり、
その広告が、ぐちゃぐちゃになるほど、お世話になりました。
文庫写真集「プレイメイト・コレクション」は、その7年後に出たので即買いでしたが、
前年のプレイメイトだったカレン・プライスが、8ページと大きく扱われ、
ジャネット・ルポーは4ページしかなく、しかもカレン・プライスのウルトラボインの方が、
ジャネット・ルポーのウルトラボインより勝っているカットが多かったが、残念でした。
心の中で、本当はジャネット・ルポーの方が大きいんだぞ。と叫んでいたように思います。
画像は、月刊平凡の76年8月号の、1ページ目です。
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