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月刊平凡の73年8月号の、デビュー・ストーリーの1ページ目です。
10時から始まるスタ誕の予選会に、10時に行った時101番目だった百恵ちゃん。
最終的には700人来たそうなので、遅れて来た人が沢山いたようです。
百恵ちゃんの次に合格した藤正樹の時は、予選会が始まる時間までに来なかった人は、
受け付けなかった。と言っていました。遅れて来る人が多かったからでしょう。
ホリプロは、桜田淳子の獲得に失敗し、百恵ちゃんは絶対取りたかったので、
親の要望を聞き、「学校は出します。」と約束したのでしょう。
百恵ちゃんは、最初は野口五郎のファンで、五郎ファンが増えたから秀樹に乗り替えたと
言っていますが、その前にも、GSのファンだったんですね。
本物のジュリーと会って感激した。と言っていますが、70年代後半には、
百恵ちゃんとジュリーが、歌謡界を背負って立つ存在になります。
映画「としごろ」の撮影が初めにあり、その後にデビュー曲の「としごろ」のレコーディングを
しました。映画とデビュー曲のタイトルが同じなのは、単なる偶然のようです。
作曲家の都倉俊一は、新人には厳しい事で有名でしたが、優しい一面もあるようです。
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