山口百恵2


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001 2023/09/17(日) 22:09:52 ID:QxOCyWV52A
前スレ 山口百恵 https://bbs82.meiwasuisan.com/1970s/1277516063...
が、500レスを超え、1週間待ってもスレ主さんから連絡が無いので
(前スレ立ては13年前)、山口百恵2 を立てます。

スレ画は、75年9月21日リリースの10thシングル「ささやかな欲望」の
ジャケットです。最初は、次のシングル「白い約束」が、
百恵ちゃんの曲で、一番好きな曲なので、そのジャケットにしようかな?と思いましたが、
このジャケットの方が、百恵ちゃんの顔が綺麗に撮れているので、これにしました。
顔が、この頃から美しくなって行くのと呼応するかのように、歌唱力も、
この頃から、明らかに上達して行きます。

「ささやかな欲望」は、ヒット狙いのメロディではありませんが、
百恵ちゃんの歌唱力を活かせるメロディになっています。
B面の「ありがとう あなた」は、赤いシリーズの最高傑作「赤い疑惑」の主題歌で、
この曲も、百恵ちゃんの好きな曲ベスト5に入ります。

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002 2023/09/17(日) 22:41:58 ID:QxOCyWV52A
2002年3月25日発行の「アイドル黄金時代大名鑑」から、山口百恵の評価記事です。
この名鑑は、80年代アイドルをメインに載せているので、70・90年代は小さい扱いです。
私は、大ヒットした「ひと夏の経験」より、「青い果実」「禁じられた遊び」の方が好きです。
筆者は、青い性典シリーズを、アイドルとして邪道だと言っていますが、
この歌詞を、言葉を置くように歌えるのは、百恵ちゃんだけでした。
作詞の千家和也も、後に百恵ちゃんのあの歌い方だから成立した。と言っています。

勘違い百恵シンドロームは、青い性典シリーズより、後のツッパリ路線の方だと思います。
中森明菜が、ツッパリ路線で成功したのは、筆者が言っている通りでしょう。
あれほど「キャラが薄くて見えない」のにブレイクしたアイドルと言っていますが、
百恵ちゃん自身のキャラが、自らの生い立ちと、赤いシリーズのオーバーラップによって、
本人が望まないほど、歪められたからなのでしょうか。

初期の百恵ちゃんは、中三トリオの一員として、特に太陽の淳子と月の百恵で、
キャラが立っていました。その対称性溢れるキャラは、80年代に、
太陽の聖子と月の明菜に、継承されています。

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003 2023/09/21(木) 18:35:06 ID:fxsGhYTJY.
「アイドル映画30年史」の、19ページ目です。
赤いシリース以外の百恵ちゃん出演ドラマが、2ページに渡って載っています。
そのほとんどは、単発ドラマの主演か、連ドラのゲスト出演です。
私が見たのは、淳子・西城秀樹・郷ひろみ共演の連ドラ「あこがれ共同体」の、
第一回のゲストで、友情出演となっていましたが、載っていません。
テレビ局にビデオ素材が残っていないからでしょうか。

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004 2023/09/21(木) 18:47:17 ID:fxsGhYTJY.
「アイドル映画30年史」の、20ページ目です。
赤いシリース以外の百恵ちゃん出演の連ドラはデビュー年の「顔で笑って」と、
主演した「人はそれをスキャンダルと言う」の2本だけで、その2つは見ています。
「顔で笑って」は、宇津井健が初めて父親役になったドラマであり、
微笑ましいホームドラマでした。

「人はそれをスキャンダルと言う」は、最初、大林信彦の斬新な演出で、
それまでとは違う映像美でしたが、回を追う毎に、赤いシリースと同じような
テイストになって行きました。でも、面白かったです。
欽ちゃんとのコメディ・ドラマは、是非観たかったです。
「ヤンヤン歌うスタジオ」等のコントでも、百恵ちゃんは堂々としていて、
それが笑いを誘っていました。

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005 2023/09/25(月) 18:26:40 ID:9wNvpAIGR.
75年9月25日発行の単行本「花の三人娘」から、
百恵のカラーグラビアの1~2ページ目です。
単行本の頃、75年の百恵ちゃんです。
澄ました表情の百恵ちゃんは、意思の強そうな性格が、
目線に表れていて、凛々しい感じさえします。

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006 2023/09/25(月) 18:32:15 ID:9wNvpAIGR.
単行本「花の三人娘」から、百恵のカラーグラビアの3ページ目です。
百恵ちゃんが、珍しく笑顔を見せているカットです。
前スレ360に、カラーグラビアの4ページ目を載せていますが、
そのデビュー当時の百恵ちゃんの笑顔は、営業スマイルで、
この頃になると、満面の笑みになっていて、自然な笑顔という感じです。

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007 2023/09/30(土) 00:41:27 ID:XkuhMchJEc
「BIGアイドルオンパレード」から、山口百恵ヒストリーの1ページ目です。
百恵ちゃんが、結婚して引退すると、一度もマスコミの前に現れないのは、
家庭を大事にしたいからという事が書いてあります。
百恵ちゃんが産まれる前から母と別居し、母の前には、事務的にしか現れない父を、
存在しない者として見ていたので、両親揃った家庭が、何よりも大事だと、
心底感じていたからでしょう。

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008 2023/09/30(土) 00:58:19 ID:XkuhMchJEc
「BIGアイドルオンパレード」から、山口百恵ヒストリーの2ページ目です。
百恵ちゃんのたくましい体力と精神力、正義感や人への優しさは、
幼い頃、東京と横浜を往復する中で、母方の祖父母に教育され、
横浜や横須賀で内職する母の後ろ姿を見て育ち、幼い妹の世話や、
中一の頃の新聞配達で、培われて行ったのでしょう。

最初から歌う仕事が好きではなく、同じ歌を1日何回も歌い、
それを2~3か月繰り返す仕事を、拒否したくなったのも、引退の一因なのでしょう。

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009 2023/10/14(土) 23:30:23 ID:xoQmm//Y/2
単行本「花の三人娘」から、百恵のカラーグラビアの5ページ目です。
(4ページ目は、前スレ360)
まだ16歳の頃の百恵ちゃんですが、貫禄があります。
森昌子が、淳子はジュンペーと呼んでいたのに、
百恵ちゃんはモモさんと、さん付けして呼んでいたのも納得する貫禄です。

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010 2023/10/14(土) 23:34:04 ID:xoQmm//Y/2
単行本「花の三人娘」から、百恵のカラーグラビアの6ページ目です。
真面目に考えているポーズの百恵ちゃんの横顔です。
こういう思慮深い姿が、女の子の共感を得る一因かも知れません。

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011 2023/11/18(土) 22:32:34 ID:G8HtBZI4Y6
単行本「花の三人娘」から、ファンレターの1枚目です。
百恵ちゃんの「モモモモ30分」の記憶は、あまりないですが、
百恵ちゃんがラジオ出演する時は、
相手役が必ず「モモちゃん」と言っていた記憶があります。

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012 2023/11/18(土) 22:40:32 ID:G8HtBZI4Y6
単行本「花の三人娘」から、ファンレターの2枚目です。
これは、百恵ちゃんの写真1枚も持っていないファンが、
サイン入り色紙をねだるファンの方が、問題だと思います。
最後の文から、当時の百恵ファンVS淳子ファンの構図が、垣間見えます。

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013 2023/11/25(土) 21:26:38 ID:4u1FEHJTf2
人はそれを...

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014 2023/12/09(土) 21:55:15 ID:6hBDq8VSXg
単行本「花の三人娘」から、百恵のカラーグラビアの7ページ目です。
百恵ちゃんらしい優しさが感じられるカットです。
百恵ちゃんのキャラクターには、早熟・ツッパリ・暗い・耐え忍ぶ 等がありましたが、
私は、優しさが一番好きでした。後に、それは母性と言われるようになりましたが。

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015 2023/12/09(土) 21:59:25 ID:6hBDq8VSXg
単行本「花の三人娘」から、百恵のカラーグラビアの8ページ目です。
映画「伊豆の踊子」からのカットでしょう。
百恵ちゃんは、額が広いのでカツラが良く似合います。
額が狭い淳子が、羨ましがっていました。

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016 2024/01/06(土) 17:13:16 ID:7luDD8.P3w
単行本「花の三人娘」には、山口百恵の生い立ちについて、
8ページの文章が載っています。その1~2ページ目です。
百恵ちゃんと言うと、横須賀出身という事は、当時から知っていましたが、
東京生まれで、幼稚園の頃は横浜に住んでいた事は、後で知りました。

両親が離婚し、母親に育てられたアイドルは沢山いますが、そのための生活苦が、
アイドルとしての個性とピッタリ合ったのは、百恵ちゃんが最初で、
最後ではないかと思います。まるで、映画やドラマになりそうな生い立ちなので、
その後、「赤いシリーズ」と重なり過ぎてしまい、
もう「赤いシリーズ」には出たくない。と言ったのも、うなづけます。

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017 2024/01/06(土) 17:32:36 ID:7luDD8.P3w
単行本「花の三人娘」の山口百恵の生い立ちの、3~4ページ目です。
横須賀に引っ越したのは、小学校2年の終わり頃でした。
愛犬ペリーとの別れも辛かったと思いますが、母親が生活のために
働いている姿を見ていたので、グレる事はなかった。と言っています。

百恵ちゃんにとって一番辛かったのは、心の支えだった母親が、病気で倒れ入院した時です。
この時は、父親のいない家庭のみじめさを痛感しました。
それでも12歳の百恵ちゃんは、買い物・炊事・妹のかよう保育園への送り迎え、
通学と頑張り、母親代わりを立派に努めました。結果論かも知れませんが、
百恵ちゃんの中に母性を感じるのは、この経験があるからかも知れません。

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018 2024/01/11(木) 18:23:03 ID:er9uO3wIwU
絶滅種のイラストですが

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019 2024/02/03(土) 15:07:10 ID:/ruMzDfREk
単行本「花の三人娘」から、百恵のカラーグラビアの9ページ目です。
映画「潮騒」からのカットでしょう。
この頃(75年)、友和と一緒に「ラブ・ラブ・ショー」に出演しています。
数年前に、二人で番組主題歌をデュエットしている映像が、放送されました。
まだ、お互いを意識してはいない頃だとは思いますが、
お互い、照れながら歌う姿が、初々しかったです。

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020 2024/02/03(土) 15:10:36 ID:/ruMzDfREk
単行本「花の三人娘」から、百恵のカラーグラビアの10ページ目の右です。
体操部に所属し、運動神経抜群の百恵ちゃんが、逆立ちしている姿です。

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021 2024/02/17(土) 15:08:13 ID:Im9f32y8DQ
モノクロ@セブ

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022 2024/02/17(土) 15:10:49 ID:Im9f32y8DQ
追加:モノクロ

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023 2024/02/17(土) 16:12:52 ID:Im9f32y8DQ
色がついてた方がいいか

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024 2024/03/20(水) 18:34:09 ID:b1/uVQnPU6
山口 百恵

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025 2024/04/03(水) 20:18:27 ID:C8Xy8WJJVI
単行本「花の三人娘」から、山口百恵の生い立ちの5~6ページ目です。
後半は、歌手になるまでの道のりが書いてあります。
歌手に憧れるきっかけは、横須賀の中学に入った時の音楽の先生が、
音楽を、ジャンルを問わず幅広く教えた事でした。前から音楽は好きだったけど、
この先生との出会いによって、歌手に憧れるようになりました。
そしてアルバイトで買ったギターで、ますます音楽が好きになって行きました。

ちょうどその頃、「スター誕生」で同い年の森田昌子がグランド・チャンピオンになり、
翌年(中学2年)7月、「せんせい」で森昌子としてデビューし、大ヒットを放ちます。
それを見た百恵ちゃんは、「スター誕生」を3週続けて見て宛先を写し取り、応募します。
百恵ちゃんの後にデビューする城みちるは、宛先を書ききれず、友達が持っていた3枚の
返信はがきの1枚をもらったそうです。ビデオが普及していなかったこの時代、
簡単に写せたら応募者が殺到するので、ワザと宛先の表示時間を短くしていたのかも知れません。

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026 2024/04/03(水) 21:07:40 ID:C8Xy8WJJVI
単行本「花の三人娘」から、山口百恵の生い立ちの7~8ページ目です。
牧場ユミの「回転木馬」を歌い、1次、2次、テレビ予選を突破した百恵ちゃんは、
決戦大会で、20社もプラカードが上がり、合格します。
桜田淳子が25社のプラカードで最高との事ですが、百恵ちゃんもそれに近いほどで、
番組史上2番目(同数の2番目は新沼謙治)と、注目度の高さが分かります。
ちなみに、桜田淳子も同じ牧場ユミの「見知らぬ世界」を歌いました。

合格した百恵ちゃんは、人一倍努力家なので、学校が終わると横須賀から東京へレッスンに
通いますが、帰りが遅くなり過ぎたので、仕方なく家族と離れ、日暮里に引っ越します。
品川中学に転校したのは、3か月前に転校した桜田淳子がいたからでしょう。
おそらくスタ誕スタッフの意向だと思います。1日も早く一人前の歌手になり、
母親や妹と一緒に暮らす。という目標に向かって頑張った百恵ちゃんの願いは、
歌手デビューの1年1か月後、高校1年の6月1日に叶いました。

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027 2024/04/05(金) 19:53:46 ID:C3SkrAuPVM
単行本「花の三人娘」から、百恵のカラーグラビアの10ページ目の左~11ページ目です。
唇を噛みしめている百恵ちゃんの表情です。

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028 2024/04/05(金) 20:21:19 ID:C3SkrAuPVM
月刊明星の73年6月号から、新人コーナーです。
私が持っている、最も初期のグラビア&記事です。

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029 2024/04/27(土) 23:57:37 ID:wgvvECXFhI
単行本「花の三人娘」から、山口百恵魅力の1~2ページ目です。
百恵ちゃんの、いわゆる青い性典ソングの世界が、当時のミドルティーンの女子も男子も、
当たり前の世界だったのに、それを公の歌として歌うのは、画期的な事であり、
女子も男子も、拍手喝采でした。しかし、親の世代にとっては、眉をひそめる世界であり、
一家団らんの場所では、気まずい雰囲気が流れていた事は、10年ぐらい前に、
水道橋博士が言っている通りです。

そして、まだ歌唱力が向上していなかった百恵ちゃんが、言葉を置くように、
キチンと歌うから、青い性典ソングが、決していやらしく聴こえなかったのでしょう。
この文章は、75年(デビュー3年目)に書かれているので、当時の百恵ちゃんが、
やや引っ込み思案だった事を、思い出しました。そう思うのは、
デビュー4年目以降の百恵ちゃんの飛躍と、歌の世界の変化が顕著だったからでしょう。

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030 2024/04/28(日) 00:23:36 ID:G.FFuTq8JM
単行本「花の三人娘」から、山口百恵魅力の3~4ページ目です。
百恵ちゃんは、決して無表情ではないけれど、無表情に見えてしまうのは、
筆者が言っている通りでしょう。そして、後半の百恵ちゃんは、
何を言われても動じない、堂々とした態度を見せるようになり、
久米宏から「鉄仮面」と揶揄されるほど、無表情のイメージが定着しました。

無表情が、意思の強さと、意思の弱さの両面を持っている。と書いてありますが、
それは、歌唱力が向上した後半の百恵ちゃんの歌に、顕著に表れました。
もちろん意思の強さは、「プレイバックpart.2」等のツッパリソングに反映され、
意思の弱さを、「秋桜」等のバラードの表現力に転化していきました。
そして、三浦友和との交際宣言をした時、無表情だった百恵ちゃんの表情が、
明るくなった事を、ハッキリと覚えています。

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