桜田淳子さん


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001 2017/05/13(土) 23:23:41 ID:QxZDfKXpbM
帽子と白いハイソックスがトレードマーク

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※省略されてます すべて表示...
381 2024/09/22(日) 20:50:48 ID:HxWllBryNo
最近夜ヒットの百恵ちゃんとのピンクレディー代役リハを見かけたのがきっかけでドはまりしております
昔も淳子派でしたが、表情豊かでひょうきんな可愛らしさを再発見しております 良きスレ楽しませていただいております

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382 2024/09/23(月) 20:11:35 ID:QikgFa2P5g
二行以上は読まない

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383 2024/10/05(土) 21:06:09 ID:1NyY9VzNes
月刊平凡の73年12月号の、自筆スターの日記の3ページ目です。
9月24日(月)。この年から始まった振替休日制度の恩恵で、学校は休日になりました。
朝に弱い淳子は、寝坊出来ると思いましたが、学校が休みの分だけ仕事が増えてしまい、
朝8時起き。学生タレントの大変さが分かる日記です。

9月25日(火)。朝に弱い淳子が、頑張って朝7時に起きても、朝食を食べると
遅刻してしまいます。「エッヘン!!」なんてユーモラスに書いていますが、
更に仕事が忙しくなり、朝食も食べられなくなった淳子は、お姉さん手作りの弁当を早弁し、
昼は売店でパンを3個も買って食べていたそうです。
痩せの大食いと言っていた淳子。親近感を感じる学生生活です。

9月26日(水)。淳子が嫌っているあだ名の「じゅんちんこ」は、
クラスメートが付けたそうです。「じゅんちゃんはエッチな顔してるから、
それがイイヨ。」と言われたそうです。
品川中学は女子校なので、女の子から見ると、淳子の顔はエッチに見えるのでしょうか。

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384 2024/10/05(土) 21:13:54 ID:1NyY9VzNes
単行本「桜田淳子のすべて」の、132~133ページ目です。
演劇部の最初の劇「王様は魔法がお好き」では、淳子が王様役をやると自分で思い込んでいたら、
先生が部外から男の子を連れてきて、王様役をやらせたので、怒ってしまう淳子。
このあたりは、自分の考え通りにならないと不快感を表す、淳子の欠点が出ています。

淳子の男装は確かに似合うと思いますが、79年頃の「ヤンヤン歌うスタジオ」では、
親友の百恵ちゃんが王子様役、淳子が王女様役のコントをしていました。
女性らしい魅力いっぱいの百恵ちゃんと、男装が似合いそうな淳子を、逆に配役した、
ミスマッチを狙ったコントでした。

>>381
夜ヒットのその回では、ピンクレディー代役リハをやっている映像を、本番で流す事を、
事前に二人には知らせていなかったため、淳子と百恵がお互いに顔を見合わせながら、
照れていたのでしょう。

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385 2024/10/19(土) 20:57:34 ID:TqjTxS1x5Y
単行本「桜田淳子のすべて」の、134~135ページ目です。
演劇部では、練習の合間に、「ジュンのリサイタル」と演劇仲間に言われるほど、
次々と歌を歌っていました。朱里エイコや黛ジュンの歌が得意で、
「表現力豊富」「迫力あり」との仲間の評価から、
スタ誕の第一次予選で歌っている淳子の声と同じく、
可愛い顔に似合わない太い声だったのでしょう。

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386 2024/10/19(土) 21:00:20 ID:TqjTxS1x5Y
単行本「桜田淳子のすべて」の、136~137ページ目です。
大森山公園に出かけて、男女3人づつのグループ交際をしていました。
後で載せる月刊明星の森田健作との対談でも、
「モテてたの知らないな。でも、たいていグループ交際だったの。」
と言っているので、この公園デートの事でしょう。

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387 2024/11/02(土) 14:57:23 ID:gp//9BNiew
月刊明星の73年12月号から、らく焼きにサインを書いてプレゼントするコーナーの写真です。
380の写真もそうですが、舌をペロッと出すのが淳子の癖でした。
あだ名の「じゅんちんこ」も、クラスメートがその表情を見て、エッチな顔と思い、
付けたのかも知れません。その内、淳子の舌が長いという事になり、
テレビで舌を鼻に付ける特技を披露する事になります。

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388 2024/11/02(土) 15:12:24 ID:gp//9BNiew
月刊平凡の74年1月号のから、お気に入りの服のコーナーです。
白黒の小さな記事なので、色が判らないですが、ピンクのシャツと言っています。
ピンク色が好きなアイドルは、多かったです。
淳子のパブリックイメージは、「淳子は純白」でしたが。

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389 2024/11/16(土) 20:28:32 ID:whJcge1Hns
単行本「桜田淳子のすべて」の、138~139ページ目です。
中学2年の弁論大会では、熱中しすぎて、持ち時間をオーバーしたのでしょう。
20歳の時に、スター交歓図裁判で、参考人としてトップバッターで呼ばれた時も、
熱弁をふるっていました。

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390 2024/11/16(土) 20:33:12 ID:whJcge1Hns
単行本「桜田淳子のすべて」の、140~141ページ目です。
父親の友人の紹介で、歌謡教室に通っていた話が書いてあります。
「ポップスでは下手するとメシは食えない。演歌だったらギター片手に流しでも食べていける。」
という歌謡教室の先生の持論(時代を感じさせます)から、演歌を練習していたという淳子。
変声期は、この頃だったんですね。夜ヒットのメドレーで、演歌を歌う時、
ちゃんとこぶしが入っていたのは、この練習の成果かも知れません。

同じ秋田予選で合格した菅原昭子も、同じ歌謡教室の生徒でした。
同じ日のテレビ予選合格者の中から、
二人も決戦大会で合格して歌手デビューするのは、珍しかったです。

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391 2024/12/01(日) 03:40:47 ID:FkNR/SzpiI
月刊明星の73年12月号の、カラーグラビアの1ページ目です。
西部劇が好きな淳子。マカロニウェスタンとは、時代を感じさせますが、
当時大人気だったジュリアーノ・ジェンマは、女の子にも人気がありました。
「ジャケットとブーツもステキでしょ。」と、女の子らしい理由から、馬に乗る事に。
「たぶんかっこよかったと思う。」と言っている通り、
赤のジャケットがバッチリ決まっている乗馬姿です。

エンジェルハットも赤に変え、白いセーターとのコントラストも決まっていて、
ファンションセンスが光ります。舌をペロッと出す癖も披露。
ところが....

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392 2024/12/01(日) 03:44:16 ID:FkNR/SzpiI
月刊明星の73年12月号の、カラーグラビアの2ページ目です。
馬を歩かせるため、「ポンと馬のおなかたたいたとたん キャーッ! 
ドテンと落っこっちゃった。」スポーツのポーズはピシッと決めるけど、
運動神経はあまり良くない、淳子らしい結末でした。

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393 2024/12/15(日) 02:33:41 ID:3ILxBK4B6A
単行本「桜田淳子のすべて」の、142~143ページ目です。
当時のスタ誕は、決戦大会でもVTRが残っていなく、音声だけだったそうです。
(スタ誕の本番VTRの最古は、100回記念大会のもの。)
そんな頃、淳子が1次予選に出場し、合格したVTRが残っていました。
スタ誕では、まれに予選会のVTRを撮る事がありましたが、
その後淳子が優勝してトップアイドルになっていったので、残しておいたのでしょう。

その予選会には、審査委員長の阿久悠が、たまたま見に来ていて、
1次予選に並んで座っている、帽子を被った淳子を見て、
「淳子だけが輝いて見え、周りの人たちは見えなかった。歌う順番が淳子に回って来た時、
せめて音痴ではない事だけを祈った。」と、後の本で書いています。

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394 2024/12/15(日) 03:14:47 ID:3ILxBK4B6A
単行本「桜田淳子のすべて」の、144~145ページ目です。
スタ誕のテレビ予選は、会場の素人審査員500人が1点づつ、
プロの審査員5人が100点づつ持っていて、合計1000点を分け合います。
得点の低い方から順番に、電光掲示板の数字が確定するシステムだった事を、
これを読んで、久々に思い出しました。(決戦大会でプラカードが挙がるシーンは、
繰り返し放送されるけど、テレビ予選のシーンは、あまり放送されないので。)

淳子が、スタ誕始まって以来の最高点である573点を取ったのは、事実です。
でも、ウィキに書いてある「番組史上最高得点となる573点で合格」は嘘で、
淳子より2大会後の決戦大会で合格し、デビューした藤正樹が、
テレビ予選で、700点台を取り、淳子を抜いて、番組史上最高得点になりました。

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395 2024/12/28(土) 23:26:46 ID:Ae1wfmXVWc
月刊平凡の74年1月号のから、お気に入りの本のコーナ-です。
淳子は身体が細く、当時のアイドルとしては比較的背が高い方だったので、
スラッと背が高いサリーと、小柄のチッチに憧れていたのでしょう。
淳子が頼りになる先輩として憧れていた岡崎友紀が、
「チッチとサリー」のドラマ版「小さな恋のものがたり」に主演していました。
ちなみにサリー役は、スラッと背が高い沖雅也でした。

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396 2024/12/28(土) 23:31:47 ID:Ae1wfmXVWc
月刊平凡の74年1月号から、花の中3トリオ・受験マル秘作戦として、
3ページに渡る対談が載っています。その1ページ目です。
「本当はどっちが頭いいの。」と昌子が聞いています。淳子と百恵は、
同じ中学の同じクラスメートなので、お互いの成績は知っているはずですが、
そこは親友として、ナイショにしています。

3人とも共通の苦手科目として挙げているのが、数学。授業に出られない時が度々ある
学生タレントにとって、授業の積み重ねで習っていく数学が苦手になるのは、当然でしょう。
受験勉強について、「やるひまないわよ。学校の試験だけでキューキューいってる
 くらいだもん。」(淳子)「毎日の勉強の積み重ねでいいと思ってるわ。」(百恵)と、
ユーモラスに語る淳子と、真面目に語る百恵の、キャラクターの違いが、良く表れています。

「私たちが休んだ時、私たちの分までノートをとってくれる人に悪いわよ。」
友だちのありがたさを真っ先に語る淳子です。

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397 2025/01/11(土) 21:43:02 ID:kbOnV236f2
単行本「桜田淳子のすべて」の、146~147ページ目です。
スタ誕のテレビ予選を、573点という高得点で通過すれば、
各芸能事務所やレコード会社が、淳子の勧誘に火花を散らすのも当然です。
スター誕生は、テレビ局主体でスターを生み出す事を目的にスタートした番組なので、
スタ誕のスタッフは、歌手デビューし、芸能界での仕事をこなせるようになるまで、
面倒を見る。という前提で仕事をしています。

母親に「淳子ちゃんはひょっとしたらひょっとなるかも知れません。
冷やかし半分で出されてはいけませんよ。」と忠告したのは、
上記に書いた責任感があるからでしょう。

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398 2025/01/11(土) 22:31:26 ID:kbOnV236f2
単行本「桜田淳子のすべて」の、148~149ページ目です。
決戦大会では、番組史上最高となる25社からスカウトのプラカードが挙がります。
(全社かどうかはわかりませんが、プラカードで埋め尽くされていた印象があります。)
ちなみに2位は、山口百恵の20社です。淳子が歌ったのは、牧場ユミの「見知らぬ世界」。
山口百恵も、同じく牧場ユミの「回転木馬」を歌っています。最近分かった事ですが、
牧場ユミの「見知らぬ世界」は、湯原昌幸のソロ・デビュー曲のカバーでした。

10数年前に放送された再現ドラマでは、スカウトの話し合いの席で、森田健作の名前を
出していましたが、客席に森田健作がいて、優勝決定時にステージに上がったんですね。
351は、そのスチール写真でした。淳子をサンミュージックに勧誘する際、
「必ずスターにするとは約束出来ませんが、人間として成長したな。
 と思えるように育てる事は、お約束します。」と言う名文句は、森田健作を
サンミュージック第1号タレントにする時から使われていた事が、最近分かりました。

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399 2025/01/25(土) 21:01:43 ID:TM9tMUmQ3c
月刊平凡の74年1月号から、花の中3トリオの対談の2ページ目です。
3人とも、芸能人として「さん」付けで扱われる事より、高校に行って、
悩みを打ち明けられる友だちを作る事が大事という点で、一致しています。
この頃はまだ、十代半ばの学生タレントが少なかったので、他の大人のタレントと
同じように大人として扱われていたのでしょう。

この後、どんどん十代半ばの学生タレントであるアイドルが増え、
人気タレントの主流になるとともに、だんだん大人扱いしなくなりました。
80年代アイドルは、逆に大人扱いされない事に不満を覚えます。

「高校へ行っても急にお仕事が増えるとも思われないし、」(百恵)
ところが淳子と百恵の二人は、アイドル人気の頂点をかけて争う事になり、
ますます仕事が忙しくなり、仕事と学校の両立は困難になって行きます。
それでもお互いに、相手が頑張っている姿を見て励まされたから、
自分も頑張れたと、共に言っています。

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400 2025/01/25(土) 21:14:45 ID:TM9tMUmQ3c
月刊平凡の74年1月号から、花の中3トリオの対談の3ページ目です。
(右下の空欄は、広告です。)
73年11月上旬ぐらいの対談だと思うので、本当は志望校の候補は決まっているのでしょう。
昌子は区立港中学に通っていたので、都立校を志望していたのかも知れません。
「やっぱりお仕事があるから、出席の厳しい公立は無理じゃないかと思うの。」(淳子)
三人とも、淳子の発言通り私立校になりました。

進学する高校は、月刊平凡の74年5月号に、
本人コメントの記事が載っているので、その内載せます。
中高一貫校の品川中学は、一応試験はありますが、他の高校へ行くより進学しやすいので、
淳子と百恵は、品川中学へ転校したのかも知れません。
1年先輩の昌子は、高校へ行ってからしたい事について、余裕のコメントをしていますが、
淳子や百恵に、冗談だと見抜かれています。三人の仲の良さが伝わって来る対談です。

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401 2025/02/08(土) 17:43:54 ID:ua.ES2ATjQ
単行本「桜田淳子のすべて」の、150~151ページ目です。
秋田の中学時代の最後の思い出が書いてあります。
最後の家庭科で、パジャマの作り掛けを、放課後に完成させた話。
がんばり屋の淳子らしいエピソードです。

最後の音楽の時間には、リクエスト曲に答えています。
最近、伊藤咲子が、中学時代にトイレで伊藤咲子ショーと題して、
クラスメートに歌を披露している話をしていました。
秋田時代の淳子と同じだなあ、と思いがら、その出演番組を見ました。

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402 2025/02/08(土) 18:03:38 ID:ua.ES2ATjQ
単行本「桜田淳子のすべて」の、152~153ページ目です。
秋田最後の日、放課後には、クラスメートの寄せ書きをプレゼントされ、
声を上げて泣いてしまう淳子。嬉し涙は隠さず、悲しい時の涙は隠す、
淳子の性格が表れています。
夜行列車で上京するのは、当時ならではですね。

伊藤咲子の事を書きましたが、今でも歌手を続けている伊藤咲子や岩崎宏美が、
テレビ(主にBS)で、時々、当時の昌子・淳子・百恵の話をしてくれるのは、
嬉しいです。先日も、伊藤咲子が、昌子ちゃんがスター誕生で優勝したのを見て、
スタ誕に応募した事を話していましたが、デビュー後、淳子・百恵・宏美に
確認したら、3人とも「昌子ちゃんがスター誕生で優勝したのを見て、
スタ誕に応募した」と言っていて、同じ理由だった事を告白していました。

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403 2025/02/22(土) 23:00:49 ID:BoVNAJ02jI
月刊明星の74年1月号の、カラーグラビアの1ページ目です。
淳子は、10歳年上の兄と7歳年上の姉がいる、3人兄弟の末っ子です。
上の二人と年が離れているので、両親は淳子を可愛がっていた事でしょう。
これは、国鉄(当時)の車掌をしていた兄の紹介です。

少なくとも週に1回は上野に来るので、秋田の実家からのお新香を届けてもらったり、
実家の様子を聞けたりして、かなり助かっていました。
今なら新幹線も開通している秋田ですが、当時は寝台列車が主流でした。
「ディスカバー・ジャパン」は、当時の流行語で、懐かしいです。

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404 2025/02/22(土) 23:03:31 ID:BoVNAJ02jI
月刊明星の74年1月号の、カラーグラビアの2ページ目です。
淳子が、「ちょっとハンサムでしょ」と言っている兄との2ショットです。
一般人としては、ハンサムな方だと思います。
でも、今流行りのイケメンとはかなり違う印象です。
当時のハンサムには、男っぽいと言う意味も含まれていた印象です。
イケメンは、女性から見てカワイイと思う要素がある男だと思います。

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