桜田淳子さん


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001 2017/05/13(土) 23:23:41 ID:QxZDfKXpbM
帽子と白いハイソックスがトレードマーク

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415 2025/04/19(土) 19:20:36 ID:BsqVecwGxE
誕生日おめでとうのコメ無しかよ?

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416 2025/05/03(土) 20:38:39 ID:57iRn6Ul0o
写真集「近代映画ハロー」の、4ページ目の左です。
当時は、月刊明星と月刊平凡は買っていましたが、近代映画にまでは手が回りませんでした。
月刊明星・月刊平凡には、「淳子」「淳子ちゃん」と書いてありましたが、
ここに書いてある「ジュンちゃん」は、老舗の近代映画特有の表現だったのかも知れません。

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417 2025/05/03(土) 20:42:42 ID:57iRn6Ul0o
写真集「近代映画ハロー」の、5ページ目の左下です。
このようなレトロな自転車は、当時でも乗っている人は、ほとんどいませんでした。

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418 2025/05/17(土) 23:57:31 ID:/cOFKvVHTg
月刊明星の74年1月号から、ファンの集いの小さな記事です。
デビュー4曲目で初めてファンの集いを開く事や、その扱いが小さな記事だった事から、
女性アイドルが行うファンの集いが、まだ黎明期の頃だったのかも知れません。

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419 2025/05/18(日) 00:08:00 ID:unHg/X1fVs
月刊明星の74年1月号から、花の中3トリオTV演技度テストのコーナーです。
2ページ目には、昌子と百恵の写真と記事が載っています。
淳子は、73年11月公開の「ひとつぶの涙」で映画デビューしていますが、
この記事には間に合わなかったのでしょう。

表現力で「プンプンおこること」と答えている淳子は、
その才能を70年代はコントで活かしていました。
表現力と熱心度の2つで「自然な表情」「自然な演技をする事」と答えている百恵ちゃん。
この時点で既に、自分の得意な演技を把握しているとは、さすがです。

淳子は熱心度で、「共演者と早く仲良くなる事」と答えていて、
二人の演技に対する考え方の違いが分かります。
自信度は、自分に厳しい淳子が一番低い点を付けています。
記憶力で百恵ちゃんが一番なのは、その後の映画や大映テレビでの大活躍から、納得出来ます。
将来性は、意外にも昌子がありました。
それは、80年代に入ってからのドラマ「思い出づくり」で証明されました。

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420 2025/05/31(土) 20:24:03 ID:6.Pv1M.TE6
写真集「近代映画ハロー」の、5ページ目の左上です。
乗るのがとても難しそうな自転車なので、運動神経があまり良くない淳子が、
「私には無理」と思ったのか、自転車を寝かせて座っています。

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421 2025/05/31(土) 20:27:24 ID:6.Pv1M.TE6
写真集「近代映画ハロー」の、6ページ目です。
シングル「はじめての出来事」を歌っていた頃のカットでしょう。
レコードを買い始め、本格的に淳子ファンになった頃なので、
淳子というと、この頃の顔が真っ先に思い浮かびます。

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422 2025/05/31(土) 20:30:46 ID:6.Pv1M.TE6
421の画像、貼り忘れました。

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423 2025/05/31(土) 20:38:36 ID:6.Pv1M.TE6
421は、貼り忘れたのではなく、圧縮するのを忘れたみたいです。

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424 2025/06/14(土) 21:53:06 ID:cZAdXF/b7.
月刊平凡の74年2月号から、レコード大賞新人賞受賞の
5人の座談会(全3ページ)の、1ページ目です。
この年(73年)までは、テレビ局が主催する音楽賞は、
TBS主催のレコード大賞(この年で15回目)と、TBS以外の民放4社が
毎年持ち回りで主催する歌謡大賞(この年で4回目)の、2つだけでした。

両方とも高視聴率だったので、民放4社が毎年持ち回りするのでは、放送回数が減って
不公平だと言う意見が各民放で多くなり、74年にフジテレビが、
FNS歌謡祭を始めたのをきっかけに、75年はNTVが、日本テレビ音楽祭を、
NET(現テレビ朝日)が、あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭を
始めました。(東京12ch(現テレビ東京)は、82年と出遅れました。)

レコード大賞の、新人賞5人や歌唱賞5人等の部門賞決定は、11月下旬~12月上旬に
行われていたので、2月号(12月23日発売)に間に合います。
部門賞は、昼過ぎに放送していたので、見られなかった事が多かった記憶があります。

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425 2025/06/14(土) 22:08:26 ID:cZAdXF/b7.
月刊平凡の74年2月号から、レコード大賞新人賞受賞の
5人の座談会の、2ページ目です。
5人の内、あべ静江と安西マリアは、73年に盛り上がったアイドルブームとは
違う路線だったので、最優秀新人賞は受賞出来ないと思っていました。
残り3人のレコードセールスは、アグネス・チャン→浅田美代子→桜田淳子の順だったので、
まさか淳子が最優秀新人賞を受賞するとは、思っていませんでした。

12月31日の本選でも、受賞の瞬間に首を傾げていたので、本人も予想していなかったと
思います。レコード大賞の前には、歌謡大賞で、アグネス・チャンと桜田淳子が
受賞していますが、TBSドラマ「時間ですよ」でデビューし劇中歌「赤い風船」を
大ヒットさせた浅田美代子が、歌謡大賞では不利になって淳子が受賞したと思っていました。

座談会では、部門賞であるにも関わらず、親や友達やドラマの共演者を呼んで、
感激の涙を誘っている事が判ります。71年に、小柳ルミ子が最優秀新人賞を受賞した時に、
感激の涙を流し、その翌年から視聴率が40%台をキープしていたので、
部門賞でも、感激の涙を誘うようになったのでしょう。

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426 2025/06/27(金) 09:42:21 ID:CjuPSSVCFE
写真集「近代映画ハロー」の、7ページ目の上です。
淳子といえば、クリクリッとした大きな瞳がチャームポイントですが、
その大きな瞳が印象的なカットです。
デビュー時よりも目が大きく見えるようになったため、
整形疑惑が起こった頃ですが、ポッチャリしていた顔が痩せて、
その分だけ目が大きく見えるようになったと、本人が言っていました。

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427 2025/06/27(金) 09:44:53 ID:CjuPSSVCFE
写真集「近代映画ハロー」の、7ページ目の左下です。
初主演映画「スプーン一杯の幸せ」は、75年3月3日にクランク・イン。
この写真集は、同年3月15日発行なので、
写真集の撮影は、映画のクランク・イン前でしょう。

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